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人間失格とサイコパスはどちらがましなのだろう。
 わたし――高松冬花《たかまつ・とうか》は、どちらも困ると思っていた。
 だけど、彼――夏野緑《なつの・みどり》と再会してからは、その考えは変わった。
 人間失格の方がましだ、と。


 大学を卒業してから就職先の喫茶店で働くようになって早一年が経ち、接客が主になる店の仕事にも少しは慣れ、店の人達ともそれなりに打ち解け、長続きできるかどうか最初は分からなかったこの仕事も、頑張ればなかなか長続きできるんじゃないかと思った頃だった。
 五歳上の兄である高松丈治から思わぬ言葉を頂戴した。
「見合いしろ」
「はい?」
 五月の連休が終わり、忙しい時期を乗り越えたからと、連休とはずれた少し長い休みをもらったわたしは、お正月ぶりに実家に帰って来ていた。
 恥ずかしながら、わたしは男の人とのお付き合いはゼロだ。いいなと思った人はいても、その人に好きな人ができたり、または他の子がその人に告白したり、あるいはその人にはもうお付き合いしている人がいたりで、告白するには至らなかったのだ。せいぜいが遠くから見つめるだけか、簡単な挨拶や会話をやりとりするだけだった。
 わたしが異性経験ゼロなのは兄も知っているはずなのに、どうして見合いなんぞ持ちかけてきたのかと、首を傾げた。もしかすると、だから見合いを持ちかけて来たのかもしれないとも思った。
 何せ、兄は、祖父の代から経営している小さな会社の跡継ぎだ。すぐに社長というわけにはいかない――今はまだ父親が現役で社長をしている――が、経験を積ませて、ゆくゆくは会社を継がせようとしている父親の意志はわたしも兄も知っている。
 小さくともひとつの会社の社長であることに変わりはないので、将来安泰であろう兄に、ちらほらと見合いの話が持ちかけられてきていることは、週に何度かかかってくる母の電話で知っている。兄は妹のわたしから見ても悪い人ではないが、いかんせん、兄には幼馴染がいて、昔からその幼馴染一筋だということも知っている。当然、兄に持って来られる見合い話は全部丁重に断っているようだった。
 兄が駄目なら妹であるわたしに――と思ったのか、と、わたしがそこまで考えたところで、兄が見合い相手の名前を告げた。
 それを聞いてますます首を傾げたわたしに、兄はいつになく真面目な顔で、それでいてどこか苦い決意を思わせる声で言ったのだった。
「おまえに悪いようにはしねえよ。断ってもいいから、形だけでも行って来い」
「……わかった」
 少なくとも、今まで兄がわたしに嫌なことをして来たことはない。
 そのことを思い出しながら、兄なりの考えがあるのだろうと踏んだわたしは、兄が持ちかけてきた見合いを承諾したのだった。
 そしてその数日後。
 わたしは隣町にあるちょっとしたレストランの隅の席で、見合い相手と向かい合っていた。
「久しぶりですね、冬花さん」
「ええ、本当に。お正月ぶりですか?」
 お互いに苦笑にも似た笑みを浮かべながらそう挨拶を交わしたのは、兄の友人のひとりであり、加護コーポレーションの代表取締役でもある加護英心だった。兄とは違い、若くして社長なのだから、彼に目の色を変える女の人もさぞ多いだろうと思いきや、彼にもいい人ができたと、兄から去年聞いたばかりだ。
 兄とは高校からの付き合いである彼が、いい人ができたにも関わらず、どうしてまたわたしとのお見合いを引き受けてくれることになったのか。
 お互い付き添い人はいなかった――その方がお互い楽に話せるだろうという兄の計らいらしい――ので、わたし達は運ばれてくる料理を頬張りながら、お互いの近況を話した。それからこのお見合いの理由というか、きっかけを聞くこともできた。
 英心さんによると、どうやら彼も兄から頼まれたようだった。
「一週間くらい前だったかな。いきなり電話が来ましてね。突然で悪いけど、妹と見合いをしてくれって頼まれたんですよ。どうしてまた、とは思いましたが、断ってもいいからと言われたものですから」
「あ、わたしも同じことを言われました」
「冬花さんも?」
 最初からお見合いを実現させるためではなく、白紙にするためだという兄の意図がこれではっきりした。
 しかし、はっきりしたとはいえ、逆に分からなくなった。わたしにも英心さんにも、お互いに異性としての興味はないし、お互いにそれを知っている。兄もそれを知っているから、白紙にするためのお見合いをさせてもわたし達が怒ることはないと踏んだのだろう。
 わたしと英心さんに形だけのお見合いをさせてどうするつもりなのか。
 もしや、英心さんのいい人とやらを焦らせるためだろうかと、わたしがそれを指摘すると、英心さんは先程よりももっと深い苦笑を浮かべた。心なしか、深い疲労感も漂っているように見えたのはわたしの錯覚だろうか?
「花重――あの子は、そんな簡単な子じゃないですよ……」
 どうやら花重というのが英心さんのいい人の名前らしい。なんでも、ちょっと事情があるようで、去年から英心さんと一緒に暮らしているとのことだった。それなら同棲になるはずで、お互い満更じゃないんじゃ? と思ったが、今の英心さんの何とも言えない様子を見たら、迂闊に興味本位でそういうことを聞かない方がいい気がした。
 ただ、と、英心さんはそこで何かを思い出したように言った。
「最近、俺の周りで、かなり物騒なことがありましてね。まあ、それはもう片付いたんですが、その後になって、あいつが随分と俺を助けてくれていたことに気付きましてね。情けないですが、知らない方がよかったからと、あいつはずっと俺に気付かせないようにしていたんです。だから今回も、まあ、あいつに任せればいいんだと思いますよ。あいつは君のことも可愛いですから」
「……そういうの、あんまり言わないで下さい」
 照れ隠しに新しく運ばれて来た食後の紅茶を啜ったわたしに、英心さんはそれ以上は何も言わなかったが、そのあとに浮かべた柔らかい笑みが何よりも彼の気持ちを語っていた。
 そう、英心さんに言われなくても、兄がわたしのことを大事にしてくれているのは知っている。わたしだけではない。高校からの友人だという英心さんや、今は英心さんの護衛兼執事として働いている青柳一誠さんのことも、両親のことも。
 だから今回のこのおかしなお見合いについても、おかしな話だとは思ったものの、兄が受けろというならそうしようと受けたのだ。兄がすることでわたしが嫌な思いやら怖い思いやらをしたことはないから。
 その後も他愛もない話をした後、午後から仕事があるからと、英心さんとはレストランを出たところで別れた。
 わたしはといえば、休みがまだ明日まであるので、どうせなら長いこと行っていなかった、大学の時はよく行っていた駅前の喫茶店に行こうと、記憶の中の道を辿っていった。
 駅前にある喫茶店『桜花』は、わたしの勤める喫茶店とはまた違い、ここではお菓子や軽食だけではなく、本格的な料理を出すこともある。それならレストランと銘打てばいいんじゃ? と思うが、オーナーなりのこだわりがあるのだろうと思っている。
 何か月ぶりになる『桜花』の扉を開けると、早速「いらっしゃいませ」と元気のいい掛け声――これもまた久しぶりだ――が聞こえてきた。どこか空いている席はないかと、店員がこちらに近寄って来る前に、素早く店の中をぐるりと見渡したところで、わたしは意外な姿を見つけた。
 店の出入り口である扉の近くには、大きな窓に面したカウンター席があり、その一つの席に、見覚えのある人物が腰をかけていたのだ。
 わたしは思わず、そろそろとそちらへと近付いて、そっと声をかけた。
「夏野くん?」

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昔、ある二人の子供がいた。
 ひとりは、自分の力が強過ぎるがゆえに、自分より強い者を欲した。
 もうひとりは、自分が弱過ぎるがゆえに、強くなることを欲した。
 遠い星にいた二人は、だからこそ磁石のように互いを引き寄せ、出会ったのだ。

●○●

 グラジオラス。
 人類が誕生して二千年余り、近代化を遂げなかった国はないが、世界の中でも大きく近代化を遂げた国、それがグラジオラスだ。機械の技術――とりわけ、ロボットやアンドロイドの技術の発展で、グラジオラスの右に出る国はいない。また、ロボットの知識や技術に関して、一番の天才だと言われる博士――エマ・アーモンドがいるのも、グラジオラスの名を広めるのに一役買っていた。
 だが、グラジオラスが世界で有名な理由はもう一つある。
 それは王立防衛軍だ。
 機械の技術が発展するにつれて、次第に人々は自分達の住む星――地球以外にも、宇宙にはたくさんの星があること、そしてその中に幾つか、地球と同様に人類に似た存在が築いた文化国がある星があることを知った。それによって得られた情報は何もいいことばかりではない。地球はそうして知り得た、いくつかの文化国を持った星と干渉し、互いに友好関係を築くこともできたが、それが叶わなかった星もある。後者の星は、グラジオラスと同様に、機械の技術が進んでいるばかりではなく、それによって強力な武器を造り出した星もある。
 そのため、グラジオラスは地球への侵入に備えて、王立防衛軍を立ち上げたのだった。
 王立防衛軍は、元は宇宙からの侵入に備えて立ち上げられたものだが、他にも、宇宙から遭難して来た他星人の保護や送還も仕事の一環として行われている。また、地球に毒牙を向けてくる可能性のある星について、絶えず情報を集める以外にも、自国だけでなく他国からの要求もあれば、テロなどの大規模な事件の収拾に向かうことも、王立防衛軍の役目の一つだった。
 危険な任務が多いために、王立防衛軍に志願する者は多くない。
 そこでグラジオラスは、年に一回、腕に自信を持つ者がその力を競う大会――武道大会を開催することにしたのだ。そこで優秀な成績を収めた者に声をかけ、王立防衛軍に入って貰おうという目論見からだった。
 グラジオラスのその目論見は当たり、王立防衛軍には世界中から曲者や猛者達が集まった。
 しかし、いや、だからこそ、王立防衛軍の顧問に就いている者が、若い女性だと知った者達は、一人の例外もなく驚く。
 彼女の名は、カノン・アーモンド。
 群を抜く天才だと讃えられる博士、エマ・アーモンドの従姉妹だ。


 カノン・アーモンドは、言葉が分かるようになった頃から、自分がただの子供ではないらしいことを理解していた。
 なぜなら、そもそも自分の父親や三人の兄達がどう考えても普通ではなかったからだ。何の機械もなしに空を飛べるのも当たり前だし、気功砲――エネルギーの塊といえば分かるだろうか――をうてるのも当たり前だし、銃を撃たれても、その銃弾を平気で素手で受け止められるのも当たり前だし、突進してくるトラックなんかを正面から受けて止められるのも当たり前だ。
 ただ、カノンやカノンの三人の兄の母親であるモニカ・アーモンドや、その姪でありカノンにとっては同い年の従姉妹に当たるエマ・アーモンドは、本人たちも公言しているように、何の力も持たないただの人間だ。
 どうしてカノンやカノンの兄達が、そこらにいる人達にはできないことができるのかというと、どうやらカノンの父親が原因のようだった。
「お父さんは、他の星からやってきたのよ」
 カノンの素朴な疑問を受けたモニカは隠すことなくそう告げ、二人の馴れ初めを話してくれた。
 モニカは元々、兄であり有名な博士でもあったチャールズの仕事を手伝っていたが、仕事帰りの途中で、宇宙からやってきたらしい遭難船を見つけたのだという。その船は難破しており、素人目から見てもひどい状態で、中に生存者がいるとは思えなかったが、モニカの通報でその場に駆けつけた王立防衛軍の者達は、その船の中に一人の男性を見つけた。船と同様にひどい状態だったが、余程運が良かったのか、あるいは余程頑丈な身体を持つ種族だったのか、とにもかくにも、その男性は生きていた。
 すぐさま病院に運ばれたその男性は、幾つかの手術を受け、長い入院生活を送ることになったが、その男性に地球に対する敵意がなかったため、病院もモニカも彼を厚く看病した。その御蔭で、彼は長い入院生活を経て、ようやく健康な身体を取り戻せた。
 しかし、問題があった。彼はどこからやって来たのか、どうして地球に遭難して来たのか、その理由を一切語ろうとしなかったのだ。「元の星に帰りますか?」という王立防衛軍の送還の申し出も丁寧に断った。何かただならぬ事情が――それも戦争規模のことが、彼のいた星で起きたのかもしれないと、王立防衛軍は判断し、王立防衛軍のその報告を受け、国も彼の滞在を認めたのだった。
 モニカから厚い看病を受けていたのもあって、彼はモニカさえよければ、モニカのところで住みたいと希望したのもあり、彼はモニカと一緒に暮らすようになった。二人が結婚するのにそう時間はかからなかった。
 そうして二人の間に生まれたのが、三男一女――カノンと三人の兄だった。
 子供達は四人揃って、おかしいくらいに父親に似た。父親の持つ能力――不思議なことができる力をそっくりそのまま受け継いだのだ。最も強く受け継いだのはカノンだった。なぜなら、きょうだいで取っ組み合い喧嘩をして勝つのはいつもカノンだったからだ。兄達の方が早く生まれて、身体の大きさも兄達の方が上のはずだが、そんなのは関係なかった。次第にカノンは兄達に仕掛けられても、喧嘩には参加しなくなった。兄達よりも自分の方が強いと悟ったのもあるし、自分がまだ小さいうちはいいが、そのうち自分の中にある力が暴走して兄達を傷つけてしまうかもしれないと危惧したからだった。
 父親もそれを察したのだろう、カノンが義務教育を受ける年になると、自分が仕事をしているところに来てみるか、と言ったのだ。三人の兄達は、飛び級で高等学校に入学したエマと一緒に学校に通っているが、それは彼らが力の抑え方が巧いからだ。父親に、普通に暮らしたいなら力を制御する方法を覚えろと、文字通り容赦なく叩きこまれたからというのもある。
 だがカノンには、兄や父親ですら想像できないような力がある。モニカの母親であり占いで生計を立てている占い師――アンナ・アーモンドに、「この子は地球を滅ぼせる力を持っている」と告げられたくらいだ。到底平凡な人生など望めないだろうとも言われたことを、父親は憶えていたようだった。
 カノンも父親のその提案を呑み、父親に連れられて、父親の仕事先である王立防衛軍へと向かった。
 カノンの父親――エリック・アーモンドは、地球に来て入院生活を経て回復した後、すぐに王立防衛軍から声をかけられたのだ。エリックがずばぬけた戦闘能力を持っていることはすぐに知れ渡ったため、彼以外にはいないだろうと、王立防衛軍の顧問の地位が与えられた。
 娘を王立防衛軍に入れたいというエリックの希望に、案の定というべきか、当然というべきか、王立防衛軍も国も面食らった。考えてみれば当然の話だ。やっと義務教育を受ける年になったとはいえ、まだ十歳の子供を――それも女の子を入れるなど、普通の父親なら躊躇う以前に頑固として止めるものだ。王立防衛軍も国も必死になって、可愛い娘さんを戦地に送るのはやめるようにと、エリックを説得にかかったが、それは逆効果だった。父親の傍で、彼らの説得を聞いていたカノンが、「そこに行ったら、おとうさんよりもつよいやつに会える?」と、目を輝かせたからだった。
 そう、カノンは、物心ついた頃から、自分よりも強い者を欲していたのだ。
 エリックもそれを知っていたから、可愛い娘ではあるが、彼女の希望の可能性があるところへと送ろうとしたのだ。
 頑固な親子に王立防衛軍も国も折れた――というより、エリックが「幾ら話してもわからないようだから、実際に見せた方が早いだろう」と、カノンに自分と手合わせするように言い、王も居合わせた訓練場で、真っ向勝負をしたのだ。まだ幼いものの、大人相手に対等に――いや、対等以上の勝負を見せたカノンの実力を目の当たりにしたため、王立防衛軍も国も、彼女を王立防衛軍に迎えることを決めざるを得なかったというべきか。
 それからカノンは、自分と同様に義務教育が必要な子供たちに混ざって教育を受ける傍ら、午後からは軍の厳しい訓練を受ける生活を送った。軍の訓練は他の訓練生にとっては厳しいものだっただろうが、カノンには物足りないとしか言えないものだった。
 また、一方、大学に飛び級で入学したエマの協力も得て、どうにか自分の馬鹿力を抑えることができないかも模索していた。銃弾を弾き返すことができる強力な繊維はもはや当然のように使われていたが、それにかなりの重量を加える技術が、エマとカノンによって編み出されることになった。
 やがてエマが大学を卒業して父親の研究所を受け継ぎ、カノンも訓練生活を終えようとした頃、転機が訪れる。
 レッドリバース軍がひとつの町ごと人質に取るというテロを起こしたのだ。

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爆弾魔であり、その実は付き纏い魔でもあったマイケルが討ち取られ、爆弾魔の脅威が去ったことが新聞などで大々的に報じられ、人々が安堵に胸を撫で下ろす中、素直に喜べない者達もいた。
 アイゼンハルドの新しい王――女王となった、マーラ・アイゼンハルドがその筆頭だった。何せ、マイケルとその父親は、マーラの父親であり、前代国王であったゴルドイ・アイゼンハルドによって、隣国から召喚されていたことが明るみになったからだ。これはゴルドイ・アイゼンハルドが藍花草の栽培方法を確立した親子を王宮に呼び寄せた時に、マーラが密かにアイゼンハルド騎士団に、莫大な金の流出があるようだから、その流れを徹底的に調べてほしいと頼んだことがある。その時の調べによって、マイケルとその父親のことも浮上したのだ。
 ゴルドイの汚名は留まるところを知らなかったらしいと知ったマーラは、そのため、マイケルに追い回されていたというスズランが騎士団に駆けこんできたと知るや、彼女の保護と、彼女の要求をすべて叶えることを騎士団に命じた。かつて、藍花草の栽培方法を確立したために、それを利用しようと目論んだゴルドイによって王宮に閉じ込められたユズリハを解放した時のように。
 そういう経緯もあって、スズランが左腕をなくすという負傷をした時も、彼女の治療と入院費もすべて王宮によって賄われることになった。
 そのスズランはと言えば、王宮に隣接している医務院の一室で昏々と眠り続けている。流石に左腕をなくしてから二日間は、熱が出たため、医師と看護師が交替でつききりになってみていた。三日目には熱も下がったが、今まで――爆弾魔から逃げ回っていた八年間の疲労もたまっていたのだろう、なおも目を覚まさなかった。
 その間、彼女の見舞いに訪れる者も後を断たなかった。騎士達もそうだが、スズランを匿っていたという者達が雪崩れ込むようにしてやって来たのだ。爆弾魔が討ち取られたことと、スズランがどこにいるかを知ってやって来たという。中には、ミレ――スズランとアンドリューとホオズキの生まれ故郷である村からやって来た者も多かった。スズランに助けられたからと、彼らは口を揃えた。やはりギルバート、アンドリュー、ホオズキの推測通り、スズランは爆弾魔が自分以外の者達に害を及ぼさないように手を尽くしていたのだ。爆弾魔を討ち取るための作戦を練っていたとき、スズランは、今までお世話になった人達には恨まれているかもしれないと零したが、ただの一人たりとも、そのような者はいなかった。むしろ、スズランが無事でいたことに安心して、また、スズランの左腕が爆弾魔によって失われたことを知ると、憤慨する者がほとんどだった。
 スズランの見舞いにやってきた者達の証言もあり、マイケルとその父親の罪は、爆弾を始め、あらゆる武器をゴルドイ・アイゼンハルドに納めていたこと以外に、スズランをいつまでも追いかけ回していた迫害容疑も付け加えられた。マイケルの父親はとうに捕まっており、既に刑務所に送られていた彼は、息子の死を知ると狂ったように叫んだという。
 アンドリューもスズランの見舞いに行っていた一人だが、仕事の合間を縫っていたことと、スズランの部屋には常に見舞い客であふれていたこともあり、やっと落ち着いて訪れることができたのは三日目の夜だった。
 スズランの部屋に向かうと、夜更けということもあり、見舞い客はいないかと思われたが、先客がいた。
 ホオズキだった。
 スズランが横になっている寝台の前で、折り畳み椅子に腰を下ろしており、部屋の扉から僅かに窺えるその横顔には、無表情ではあったが、憮然としたような表情が浮かんでいる。
 アンドリューが来たことに気付いたのだろう、それともそれを合図にしたのか、ホオズキが振り返らずにぽつりと零した。
「また護られるとはねェ」
「また?」
 ということは、ホオズキは以前にもスズランに庇われたことがあるのか。
 はて、そんなことがあったかと、首を傾げながら、記憶の糸を手繰り寄せるアンドリューに助け船を出したわけではないだろうが、ホオズキは言葉を継いだ。
「お前も覚えてるだろ、アンドリュー。俺とこいつが落石事故に巻き込まれたの」
 それを聞いて、アンドリューも、ああ、と思い出した。
 そう、ホオズキの言った通り、スズランとホオズキは、一度、落石事故に巻き込まれたことがある。その時は二人だけでなく、村人全員総出で、近くの山の中へ、冬を越すために必要な薪を伐ったり拾い集めたりするために行っていた。毎年恒例行事のひとつで、村にある家々に必要な分だけ運ばなければならなかったため、時間がかかるのは珍しくなかった。だが一度だけ、スズランとホオズキだけがいつまで経っても帰って来なかったことがある。あの時は流石に、村人全員が最悪の事態を予想し、覚悟したが、その予想に反して、かなり夜遅くになって、二人は帰って来たのだ。
 二人が帰ってきた後、二人の帰りが遅くなった理由は知れた。それは、スズランが足を挫いたためだった。
「こいつが足を挫いたのは、薪を拾っている最中、石が落ちて来た時に、俺を引っ張ったからでェ。その時に変な風に動いちまったんで、足を捻挫しちまったんだ。おまけに二人とも、落ちてきた大きな石に閉じ込められたと来た」
 運が悪いというべきか、二人がいたのは小さな洞窟の近くで、その洞窟の上から大きな石が落ちてきたという。その下にいたホオズキを、近くにいたスズランが咄嗟に引っ張って、洞窟の中に逃げ込んだのだ。御蔭で二人とも命拾いをしたが、そのかわり、ホオズキが言ったように、スズランが変な風に足を動かしたために挫いてしまったらしい。
 スズランは高い戦闘能力と身体能力を誇る〈黒蛇〉のひとりだ。子供とはいえ、子供一人を引っ張って安全なところへ運ぶのはわけもなかったろう。ただし、まだろくに経験を積んでいない子供でもあった。身体の動かし方を熟知していなかったため、怪我や捻挫をすることも多かった。
 更に運の悪いことに、落ちてきた大きな石は、洞窟の入り口を塞ぐように着地したため、出ることもできなかった。隙間はあったものの、小さな子供でも通れるようなものではなかったようだ。
「捻挫してねえこいつなら、石を持ち上げることくらいなんてことねえ。でもそのときだけは、下手をすれば骨折するかもしれなかった。俺もこいつもそれを分かってたから、誰かが来るまで待つことにしたんだ。でも、日が暮れても、誰も来てくれそうになかった」
 そうだと、アンドリューも奥歯を噛み締めた。二人の帰りが遅いことには、アンドリューだけでなく、他の村人達も気付いていたが、どうせどこかでまた喧嘩をしているのだろうと、さして気に留めなかったのだ。気が済めば二人とも帰ってくるだろうと高を括ってもいた。ところが、日が暮れても一向に帰る気配すらない。夜になって漸く、遭難したのかもしれないと、やっと二人のことを案じる声が出るようになった。
 しかし、時は遅い。夜が来てしまっては、山の中にはいることすら危ぶまれた。たとえ山の中を知り尽くした大人でも、一歩道を違えてしまえば、遭難の仲間入りになるおそれがある。夜が明けてから捜索に出ようと、苦渋の判断を下すしかなかった。
「二人とも流石に腹が減ってきたし、もしかすると誰も気付いてないかもしれない。そう判断したこいつは、無理して石を持ち上げて、洞窟の入り口を開けたんでェ」
 スズランとホオズキも、アンドリュー達が二人が遭難していることを知らないかもしれないことに気付いていたと知り、アンドリューは穴があったら入りたい気持ちでいっぱいになった。
 アンドリューのその胸中を知ってか知らずか、ホオズキはふうと溜め息を落とした。
「そんとき、こいつには敵わねえって思ったよ。どうしたら自分だけじゃなくて、周りにいる奴らも助かるか。こいつは無意識のうちに、その時その時で一番の方法を選んできてる。爆弾魔に追いかけられてた時も、人の被害が出なかったのも、そうやってきたからだろうな」
 ああ、と、アンドリューは、ホオズキのその言葉に同意すると同時に、やはりこの二人はお互いをよく理解していると思った。アンドリューが騎士団に入ったのは、スズランを捜すためだったが、後から入って来たホオズキの方が先にスズランを見つけたし、スズランも、ホオズキとの喧嘩の経験で、ホオズキが不測の事態に弱いことをよく知っている。だからあのとき、スズランはホオズキを助けることができたのだ。
 アンドリューもスズランに好意を寄せることがなかったわけではない。
 だが、二人の間には、最初から割り込む余地などないのだ。
 だから爆弾魔も敗れた。
「だからせめて、こいつに勝てるくらいに強くなりたいって思ったんでェ。そうなりゃ、こいつに助けられることもなくなるって思ったし、あれから、ちょっとは強くなったつもりだったんだがねェ」
 ホオズキの意外な胸中を知り、ちょっと感動していたアンドリューだったが、ホオズキがおもむろに取り出したものを見て固まった。なぜなら、ホオズキが手にしたもの、それはペンだったのだ。
 何をするのか、いや、何もしないでくれと胸の中で懇願の叫びを上げるアンドリューの目の前で、ホオズキはスズランの顔にペンを走らせたかと思うと、満足そうな顔で椅子から立ち上がった。
「俺はもう寝るわ。おやすみ、アンドリュー」
「お、おお、おやすみなさい……」
 ご機嫌に鼻歌を口ずさみながら部屋を出ていったアンドリューを見送った後、アンドリューも触らぬ神に何とやらと、スズランの方をなるべく見ないようにしながら、かつ、スズランを起こさないよう、忍び足で扉を潜った。
 廊下に出たところで、ホオズキやアンドリューと同様にスズランの見舞いに来たらしいギンと鉢合わせた。扉の近くの壁に凭れかかっていたところから察するに、どうやらアンドリューのすぐ後に来たようだが、ホオズキの話で入るのを遠慮していたらしい。
「ギンさん……」
 ホオズキの話を聞いていたようだが、同じようにホオズキのしていたことも扉の隙間から見えたようで、珍しいことに、ギンは憐れむような笑みを浮かべていた。慰めるように、ぽんとアンドリューの肩に軽く手を置いたギンに、アンドリューは涙目で訴えた。
「いい話で……いい話で終わるかと思ったのに……!」
「何も見なかったことにしなァ」
 そして翌朝。
 騎士団では、いつも通り、朝早く起きた団員達が食堂に集まっていた。
 ギルバートも、いつも通り、食堂に朝餉をとるために向かおうとしたが、食堂に通じる廊下の角を曲がったところで、大砲の音が空気を大きく振動させた。同時に、目の前にある食堂の一角が派手に吹き飛んだ。
 誰の仕業なのかはほどなくして知れた。
「そうこなくっちゃあなァ! 今日こそは決着をつけてやらァ!」
「それはこっちの台詞よ! よくもわたしの顔に落書きしてくれたわね!!」
 楽しそうに反撃に出たであろうホオズキとスズランの声が響いたからだ。
 これまた間もなくして、食堂から逃げてきた騎士達の悲鳴が飛び交った。
「いやああああ、食堂がああああ!!」
「せめて外でやってくれねえか――!?」
 食堂の修理工事の要請を出しとかねえとな――と、ギルバートは遠い目になるのを自覚しながら、ふう、と、肺に溜まった煙を吐き出した。

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真っ先に爆弾魔に斬りかかろうと飛び出したのは、ギンとホオズキだった。
 アイゼンハルド騎士団副団長であるギンは、その地位から知れる通り、騎士団の中でも無謀、あるいは命知らずと紙一重を走る無鉄砲を誇る。それゆえに幾つもの功を上げて来られたわけだが、無鉄砲さという点ではホオズキといい勝負だ。かくいうホオズキも、オーキッドとギルバートが白旗を上げるほど、何かしらの任務の度には、こちらが止める間もなく、我先と言わんばかりに飛び出すことが多いからだ。たとえその先に恐ろしい凶悪犯がいたとしても、幾つもの罠が仕掛けられていようとも。
 だからこの時も、飛び出してしまえば、爆弾が投げて来られると分かっているはずだが、相手はこちらとは違い、騎士ではない。戦闘も修羅場も知らない素人だ。隙があるとすればそこだった。
 案の定、今まで向こうから飛びかかって来られたことはないのだろう、爆弾魔――名はマイケルというらしい――は、驚きながらも、咄嗟に腰に下げていた巾着袋に手を突っ込み、その中から丸い爆弾を取り出した。慣れた動作で――嫌な慣れを身につけてくれたものだが――、その先にある導火線に、おそらく指先に紙やすりのようなものをつけているのだろう、両手の指をこれまた器用に動かして火を起こし、そうして火をつけたそれを、飛び出してきた二人に投げつけた。
 だが、ギンとホオズキ、二人の目には、その間のマイケルの動きはとんでもなく遅く、鈍く見えたことだろう。自分達に投げつけられた爆弾の動きも。だから二人が素早く刀を薙いで、爆弾の導火線を斬り落とすのも造作もなかった。
 そしてそのまま、足を緩めることなく、マイケルに斬りかかろうと距離を詰めていく。
 マイケルは小さく舌打ちしたようだった。それでもスズランに未練があるのだろう、後ろにある門扉――今はその痕跡すら怪しいが――から逃げることはせず、横へと方向転換して走り出した。騎士達から身を隠す場所を探すつもりなのだろう。
 マイケルがどう動くかは、昨日一日中作戦を練っていたため、その方向転換は予想通りだった。マイケルが詰所の中に入ってくれさえすれば、騎士達の何人かが怪我をするかもしれないが、無関係な一般市民に被害を出さずに済む。
 とはいえ、そのままどこかに身を隠そうとするマイケルをギンとホオズキが放っておくはずがない。これも作戦のうちで、逃げ場がないところまでマイケルを追い込むのが最終目的だ。その前にやらなければならないことは山ほどある。
 作戦を頭の中で何度も反芻しながら、自分もやるべきことをやろうと、刀を抜いたギルバートに、アンドリューが深い溜息と共に言った。
「相変わらず、見ていてひやひやします」
「全くだ。アンドリュー、お前も早く位置につけ」
「はい。お気をつけて」
「おう」
 そんなやりとりを交わした後、アンドリューと数人の騎士達が、ギルバートの言った位置につこうと、踵を返して足早にその場を後にした。
 詰所の中で逃げ場のない場所は限られている。
 銃弾や大砲、大砲に使う砲弾、様々な刀剣、大きさの様々な弓矢、何本もの矢など、あらゆる武器を置いている武器庫の中や、詰所を取り囲んでいる高い塀に囲まれた行き止まり、また、大広間に面するようにしてある大きな庭――といっても、外の水路に通じる池とその傍に立つ大きな桜以外は何もないが――など。その中でマイケルを追い詰めようと決めたのは、高い塀に囲まれた行き止まりだった。武器庫だと、その中にある武器を手にとって思わぬ反撃に出て来られる恐れがあるし、庭では、池に飛び込んでまんまと逃げられる可能性があるからだ。行き止まりであれば、確実に逃げ場所はなくなる。
 ただし、追い詰めるだけではない。その間、マイケルがスズランを捕まえてしまっては元も子もない。人質にされることもそうだが、最悪の場合、無理心中をしようとすることも考えられる。スズランの気持ちをどこまでも無視するのがあの爆弾魔の得意とするところだからと、作戦を練っている途中でスズランが嫌そうに零していたくらいだ。
 そのため、騎士達がマイケルを追い詰める間、スズランの身の安全も確保しなければならない。アンドリューとホオズキがやけに何度もスズランに念を押していたのが気になったが、スズランも承知していたし、何より、時間がかかってはまずい。
 ギルバートもアンドリューたちと同様に、マイケルから逃げ場所を奪おうと、その場に残った騎士達全員と共に、マイケルが逃げ込んだ方向へと動いた。こちらの動きで、マイケルから逃げ場所を奪いつつ、かつ、こちらが追い詰めたい場所――行き止まりへと誘導するのが狙いだ。
 アンドリューとやりとりをしていた間も、マイケルを追い詰めようと、あらゆる逃げ道を塞いでいる間にも、先程のような――マイケルが門扉を爆弾で吹っ飛ばしたような爆発音は一度も起きなかった。マイケルを追い詰めているギンとホオズキが、マイケルから投げつけられただろう爆弾の導火線をうまいこと切っていっているのだろう。その証拠に、ギルバート達がマイケルの方へと近付いて行く間に導火線の切れた、大小や形様々な爆弾があちらこちらに落ちているのが視界に入った。後片付けも手間かかりそうだな、と、ギルバートは内心で密かに悪態をついた。
 しかし、もっと悪態をつきたくなることは、その後に起こった。
 逃げ道を塞ぎながら進み、ようやくマイケルを追い詰めるギンとホオズキに追いついたのは、行き止まりに近い、塀と詰所の間にある通路の一つだった。通路とはいっても広く、大人五人が並んで通れるほどの幅がある。どの通路でも同じく幅がとられているのは、万が一の時に、大砲などの大物の武器をどこからどこへでも運べるようにするためだ。
 マイケルはと言えば、手持ちの爆弾が尽きかけてきたのか、身体のあちらこちらにつけている荷物はだいぶ少なくなったようだった。特に背中に背負っている背負い鞄も、門扉にいた時とは大違いに、だいぶ小さくなっている。ギンとホオズキに追いかけ回されたせいで、息もだいぶ荒くなっている。どこに逃げ込もうかと、その気になればひとっ飛びで斬りかかることのできる距離の先にいる二人――ギンとホオズキの動きに神経を払いながらも、同時にどこかに逃げ道がないかとも探している。まさに追い詰められた鼠だ。
 ギンとホオズキの後ろから更にギルバート達が来たことで、更に窮地に追い込まれたことを悟ったのだろう、ギンとホオズキの向こうにいるマイケルの顔に初めて焦燥の表情が浮かんだ。おそらくスズランも一度も見たこともないだろう。それも考えてみれば当然のことだった。マイケルは今までスズランたった一人を追いかければよかったはずで、今のように大勢――それもマイケルとは違い、幾つもの修羅場をくぐり抜けてきた騎士達――に、逆に追いかけられることなど、一度もなかったはずだ。
 そんなマイケルに、ギンが愉しそうに言った。
「観念したらどうでェ?」
 その声からして、ギンの顔はこちらからは見えないが、その口元には見る者を戦慄させる薄い笑みが浮かんでいるだろうことは容易に察せられた。つくづく、こういうときだけは楽しそうになる奴よ――と、ギルバートは噛み締めた。
 そんなギンに、マイケルは悔しげに顔を歪めたかと思うと、背中に手を突っ込んだ。背負い鞄がだいぶ小さくなっているところから察するに、もうさして手持ちの爆弾はないはずだが、まだもっと小さい爆弾を持っているのかもしれない。
 油断はできないと、一層気を引き締めたギルバートのその予想を肯定するように、案の定、背中から戻したマイケルの手には、掌にのるような小さいもの――手布《ハンカチ》を小さく折り畳んだようなものが握られていた。ただし、手布と違うのは、それが、今まであちらこちらの地面に落ちていた数々の爆弾と同様、茶色い紙のようなもので幾重にもぐるぐると貼り固められたものだった。それも爆弾だと言うことは、聞かずとも、嫌でも知れた。しかも導火線もないときている。
「これでもくらえ!」
 やけくそになったのだろう、そう叫びながら投げつけた小さな爆弾に、ギンとホオズキは申し合わせたように舌打ちを零した後、咄嗟に後ろへと下がろうとした――が。
 運が悪かったのか。
 それとも、単なる偶然だったのか。
 詰所の床下から、一匹の子猫が出てきた。
 その子猫が出てきたのは、ちょうど、ホオズキが下がろうとしていた場所だった。
 それを見てとったホオズキが咄嗟にその場に足を踏ん張ったが、思わぬことにホオズキの身体がついていけなくなったために均衡を崩し、ホオズキはその場に尻餅をついた。
 子猫は驚いてまた床下の中に戻って無事だったが、ホオズキも無事でいられるわけがない。そのままでは、マイケルの投げた小さな爆弾がホオズキに当たることは見えていた。
 マイケルの顔にしてやったりと言わんばかりの表情が浮かぶ。
 ギンが慌ててホオズキに駆け寄り、その身体を自分の方へと引き寄せようとしたが、それより先に、ギンとは反対の方から飛び出してきた人影があった。
 その人物――スズランは、両手を大きく広げて、ホオズキの前に立った。
 次の瞬間、爆発音と、鮮やかな紅と共に、スズランの左腕が吹き飛んだ。
「スズラン!!」
「スズランさん!!」
 騎士達の悲鳴じみた声があがった。
 ホオズキに凭れかかるようにして倒れたスズランの許に、流石に作戦も忘れて、ギルバートを含む騎士達が駆けつけた。その間にマイケルが反撃に出るか、あるいはこれ幸いにと逃げるかもしれないという考えはなかった。それほど、今の出来事は誰にとっても予想外だったのだ。
 痛みが激しいのだろう、スズランは悲鳴どころか、声も出すことができないようだった。いかに想像もつかない痛みがスズランを襲っているかは、彼女の顔を見れば明らかだった。
 嫌な汗を流すスズランを支えながら、頭にぐるぐると布を巻きつけていた騎士から、頭に巻いていた布を渡されたホオズキは、それを手早い仕草でスズランの血が流れ続ける左腕に押さえるように巻き付けた。
「タニア、この馬鹿を医務院に連れてけ」
「は――はい!」
 今までで一番剣呑な表情を浮かべたホオズキに言われて、タニアは震えあがりながらも、威勢の良いその返事と共に、ホオズキからスズランを抱え受け、なるべく彼女の身体に負担がかからないようにと、慎重に、しかし迅速な動きで詰所の裏口へと向かった。
 それを見届けた後、尻餅をついたホオズキが、そばに落ちていた刀を拾い、ゆらりと立ち上がった。ホオズキのその顔はとても静かだったが、だからこそ、誰もが容易に近付けないような雰囲気を纏っていた。ギルバートも、その場にいる全員の騎士も、その空気を何と呼ぶのかを知っている。
 殺気だ。
 怒らせたらまずい一人であるホオズキを、よりによって、マイケルは怒らせてしまったのだ。
 そのマイケルはと言えば、更に反撃に出ることも、逃げることもせず、その場に呆然と立ち尽くしていた。
「スズランさん……。嘘でしょ……」
 ホオズキを始め、ギルバート、ギン、騎士達がそちらへと振り返ると、マイケルの口からそんな言葉が零れた。
 どうやらマイケルにとっても、今の出来事は思いもよらなかったものらしい。
 と、突如、マイケルは何かしらの衝動に駆られたように――実際、ホオズキと同様に、殺意が湧いてきたのだろう――、素早い動きで背中に手を回した。導火線のない小さな爆弾はまだ隠し持っているらしい。
「嘘だ……。スズランさんが他の男を庇うなんて……! 今すぐ殺してやる!」
 言いながら、ホオズキに投げ飛ばしたときよりも多くの小さな爆弾を両手いっぱいに持ったマイケルが、怒りに任せてこちらに投げつけようとしたその時だった。
 空から水が降ってきた。
 雨ではない。文字通り、大量の水が降ってきたのだ。そしてその大量の水は、見事にマイケルに的中し、マイケルをずぶ濡れにした。
「なっ」
 大量の水が降ってきたことに、また虚を衝かれた形になったマイケルは、その両手いっぱいに小さな爆弾を投げつけようとした姿勢のまま固まった。両手いっぱいにある小さな爆弾だけではなく、まだ隠し持っているであろう爆弾も、今の降ってきた水で使い物にならなくなったことも悟ったに違いない。
 やっと加勢が来たことを知ったギルバートが塀の向こうに叫んだ。
「遅えぞ、消防団!」
 すると、それに答えるように、何か大きなものを動かすような音が複数聞こえてきた。
「これでも鐘を聞いてすぐに駆けつけたんでい! 野郎ども、もっと押しやがれ!」
 ギルバートの言葉にそう返した太い声に応えるように、更に多くの水が塀の向こうから降ってきた。
 アイゼンハルドは、花園という異名がある通り、花の国だ。そのため、多くの家では思い思いに花を庭で育てている。あちらこちらの家々に水を引くため、アイゼンハルドの町や村では至るところで水路がつくられ、どこからでも水を出せるようになっている。詰所でも例外ではなく、火事などに備えて、塀の向こうの通路のすぐそばに水路がもうけられているのだ。
 また、騎士団は、爆弾魔であるマイケルが必要以上に爆弾を使わないように、爆弾を使い物にならなくしたいとも考えた。そのため、詰所に人が近付かないように王宮にも伝達の協力を要請したと同時に、消防団にも協力を要請したのだ。爆弾魔が来るから、その時は近くの水路から水を引いて、水を降らせてほしいと。
「くっ……!」
 まさに四面楚歌ともいうべき状況に追い込まれたと嫌でも悟らざるを得なかったのだろう、マイケルは悔しそうな声を漏らしたかと思うと、ギルバート達の来た方向とは反対の方向へと逃げようとした。
 だがそうは問屋が下ろさないというように、次の瞬間、マイケルの手足に数本の矢が刺さった。
「なっ」
 信じられないというように、その場に崩れ落ちたマイケルは、どこから矢が飛んできたのかを確かめようと、素早く周囲に目を走らせた。やがて止まったマイケルの視線の先、マイケルに矢を打ち込んだのは、マイケルから見て真正面――詰所の屋根の上だった。そこには弓を得意とするアンドリューを始め、数人の騎士達が弓を番えており、新しい矢を構えているはずだ。
「放てい!」
 果たして、アンドリューの声が屋根の上から響いたと同時に、新しい矢がマイケル向かって放たれたが、マイケルも黙って受けるわけがない。先程、矢を放たれたときに無事だった右腕と左足をなんとか動かし、なおも逃げようとしたが、それよりもホオズキが動くのが早かった。
 ホオズキはひとっ飛びで距離を詰めたかと思うと、マイケルに向かって、冷酷に刀を振り下ろした。
 スズランと同様に、鮮やかな紅が散った。
 スズランと同じ左腕を斬り落とされたマイケルの口から、耳を塞ぎたくなるような、無様とも思える悲鳴が上がった。
「情けねえなァ。スズランは悲鳴ひとつ上げなかったぜ?」
 その場に倒れて、切られた左腕を押さえながら、あまりの痛みにのたうち回るマイケルに、ホオズキはその顔と違わぬ冷たい声を浴びせた。だがそれも、衝撃と痛みの方が勝っているのか、マイケルには聞こえなかったようだった。
 しかし、やがて自分の周りを騎士達が囲むと、流石に気付いたのだろう、愕然とした表情を浮かべたマイケルの顔が上げられた。
「何で。何で。何で、何で――」
 左腕を押さえたまま、身体をぶるぶると震わせながら、マイケルは理不尽だといわんばかりに叫んだ。
「何で邪魔するんだよおおお! 何でいつも、赤の他人が、何で僕の幸せの邪魔をするんだよおおお!!」
 この期に及んでも、なおも自分のことしか考えないマイケルに、同情も憐れみも持った騎士はいなかった。スズランと幼馴染のホオズキとアンドリューにとっては尚更だったろう。
「お前が幸せになっても、あいつは幸せじゃねえからだよ」
 それが、マイケルが最後に聞いた言葉だった。
 冷たく告げると、ホオズキは何の躊躇いもなく、マイケルの首を刎ねた。


 新聞の一面に「爆弾魔は付き纏い魔だった」という大きな見出しが載ったのは、その翌日のことだった。

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スズランがアイゼンハルド騎士団の詰所に来た次の日。
 スズランはアイゼンハルド騎士団の詰所の一室を借りていた。いつ爆弾魔が来るか分からないし、また、爆弾魔から身を守るためには、アイゼンハルド騎士団の詰所の中にいるのが一番いいだろうと、ギルバートを始め、アイゼンハルド騎士団の一致した意見だった。
 スズランが爆弾魔に狙われているということは、新しく女王となったマーラの護衛のために王宮へ行っていた、アイゼンハルド騎士団団長であるオーキッドにも伝えられた。オーキッドはスズランの話が本当なのかと、至極尤もな疑問を零したが、ホオズキとアンドリューの証言もあり、最終的にはスズランの滞在と、爆弾魔を討つことの許可を出した。爆弾魔を討つことの許可は、オーキッドだけでなく、新しい女王であるマーラ・アイゼンハルドからも下りた。
 また、スズランが来たその日の夜には、爆弾魔が来た時に備えて、入念に作戦が練られた。爆弾魔はその名の通り、様々な爆弾を所有しているため、できるだけ被害を最小限に抑え、かつ、短時間で爆弾魔を捉えるにはどうすればいいか、様々な意見が交わされた。爆弾魔が所有している爆弾の情報については、スズランが一番知っているため――彼女にとっては不本意以外の何ものでもないだろうが――、スズランも、作戦の話し合いに参加した。その際に、彼女が密かにある決意をしていたと知るのは、爆弾魔が来た時だった。
 同時に、爆弾魔の似顔絵も作成された。爆弾魔の顔を知っているのは、これまたスズランだった。アンドリューも子供の頃の爆弾魔の顔を覚えているものの、何しろ子供の頃の記憶なので、あいまいなところもある。スズランの証言に基づき、絵がうまい団員の手によって作成された似顔絵は、必要な枚数が刷られ、詰所のあちらこちらに貼られた。詰所だけでなく、町中にも貼りだしたらどうかという意見もあったが、それではホオズキがスズランと一緒に見回りに行った甲斐がないと、ホオズキとアンドリューの反論によって却下された。
 そう、ホオズキがスズランを連れて見回りに行ったのは、スズランにうまいものを食べさせるためではなく、スズランがここにいるということを爆弾魔に知らせるためだった。そのため、見回りの途中で、新聞の記事を書いているという記者に呼び止められ、あれこれと質問を浴びせられても、嫌な顔一つせず、むしろ喜んで応じた。新聞に取り上げてもらえれば、スズランの居場所を知った爆弾魔がのこのことやってくるだろうと踏んでのことだった。ただし、スズランは流石に複雑そうな様子ではあった。何せ、ホオズキと二人で写っている写真も撮られたのだ。幼馴染ではあるが、恋人同士でもないのに、親しげに立ち並ぶ写真を撮られるというのは、よからぬ噂の種にもなりかねない。それでも撮られたのは、彼女が言っていた通り、逃げ回らなくていい生活が欲しいからだろう。八年間も逃げ回らざるを得なかった彼女の今までの日々を思うと、騎士としても、ひとりの人間としても、忸怩たる思いが湧いてくる。
 ホオズキがスズランを見回りに一緒に連れて行ったのは、もうひとつ理由がある。それはユズリハが経営する店に連れていくためだ。スズランは今までの逃亡生活で、身体のあちらこちらに火傷を負ってしまっている。治療はできるだけ受けてきたとスズランは言うが、それでも火傷の痕までは消えなかった。その火傷の痕をできるだけ薄めるような塗り薬か何かはないだろうかと、ホオズキはユズリハに相談したのだ。ユズリハはギン以外にも騎士が来たことに驚いたようだが、それよりも、ホオズキがスズランに買ったばかりの林檎飴を食べさせていたこと――スズランの両手には、ユズリハの店に来る途中であちらこちらの店でホオズキに買って貰った食べ物が入った紙袋で塞がっていた――に、もっと驚いたようだった。驚いたというよりは呆れていたんでしょうね、とは、ギンの言だ。
「ねえ、騎士団って、いつから動物園になったの?」
「いや、そういうわけじゃねえんだが」
 ホオズキの要求を受けて、火傷に効果があるという塗り薬を作っていたユズリハにもそう言われては、ギンも苦笑するしかなかったようだ。
 とにもかくにも、そうして爆弾魔を捕まえるため――あるいは、討つための準備を着々と進めた。爆弾魔が来た時、スズランが詰所のどこに身を隠すかも決められた。また、詰所の周りには、いつもなら人々の往来があるのだが、今日に限ってはそれがなかった。あらかじめ、朝早くに、詰所には近付かないようにという通達を、詰所と王宮から町中に出したためだ。爆弾魔が来たら、無関係の通りがかりの人々まで巻き込まれかねない。スズランが何よりも危惧していたのもそのことだった。そのため、今日からしばらくの間、爆弾魔が来るまでは人々は詰所に近付かないことになっている。
 爆弾魔が来たらすぐさま知らせることができるよう、詰所の玄関に近い塀の上に設けられている見張り小屋――とはいっても、大人三人ほどが身を屈めなければ入れないほどの小さな部屋だが――にも、見張りが置かれた。その部屋は、塀から少し出っ張っているぐらいで、遠くから見たら何かしらの飾りかと思う程度のものだ。まさか、その中に人が潜り込んでいるとは思わないだろう。
 昼を回った今は、昼餉もあるため、交代の時間だから、アンドリューが見張りに入った頃だろう。
 ギルバートが執務室の中、執務机でそんなことをつらつらと考えながら、新しく来た報告書に目を通そうと、手にしていた書類を、机の左に置いている箱――処理済みや捺印した書類を入れるためのものだ――に置いたところで、部屋の隅にある仮眠のための小さな寝台の上でうつらうつらと舟を漕いでいたスズランが身を起こした。
 どうした、と、ギルバートが聞こうとするより先に、俯いた顔、その瞳に剣呑な光を湛えながら、スズランはぼそりと零した。
「嫌なにおいがする……」
 どういうことだとギルバートが問うよりも、これまた、スズランが行動を起こすのが早かった。寝台から降りるや否や、執務室を飛び出して玄関の方へと向かったのだ。
 嫌なにおいって、一体何を嗅ぎつけたんだと思いながらも、ギルバートも反射的に椅子から立ち上がっていた。スズランがあんなにも敏感に反応することなど、たったひとつしかないではないか。
 果たして、ギルバートのその予想を肯定するかのように、次の瞬間、かんかんかんかんと、けたたましく警鐘が響いた。見張り小屋の中にある、大人の顔ほどの大きさの鐘が撞かれたのだ。さほど大きくない鐘だが、より純粋な銅で作られているため、その音は詰所から離れている王宮にも届く。
 爆弾魔が来たのだ。
「あ、ギルバート副団長!」
「おう。来たみてえだな」
 廊下に出ると、今の警鐘――今も鳴り響いている――を聞いて飛び出してきた多くの騎士と鉢合わせた。鉢合わせた騎士達は全員、その顔に緊迫した表情を浮かべている。おそらく自分も同じように剣呑な顔になっているだろうと思いながら、ギルバートは、行くぞ、と、騎士達を促し、玄関の方へと足を走らせた。
 そうして玄関に――いや、正確には、玄関が見えるところまで走ったギルバート達が目にしたのは、スズランが自分の身長よりも大きいもの――玄関のすぐそばに設置されていた、初代団長の像――を、玄関に向かって投げつけるところだった。貴重な像を投げつけるもんじゃないと、こんな時でなければ止めるところだが、ギルバートどころか、その場に駆けつけた騎士達は誰も止めなかった。というより、止める間もなかったと言うべきか。
 だがスズランが投げつけた大きな像は、玄関先に落ちて粉々になることはなかった。その前に、まるで花火でも投げつけられたかのように、大きな爆発音と共に飛び散ったからだ。
 その爆発と共に、玄関の役目を果たしていた門扉も衝撃を受け、そのすぐ上に設けられていた見張り小屋も吹っ飛んだが、その直前にその出入り口から飛び出した人影があった。
 警鐘を受けて、詰所にいるほぼ全員が玄関に駆けより、スズランを守るようにして玄関を囲む中、スズランの傍に駆けつけてきたホオズキが、いつでも抜けるように、腰に差している刀の柄に手を掛けて構えながら、たった今見張り小屋から飛び降りてきた人影に声をかけた。
「無事か、アンドリュー」
「なんとか」
 ホオズキに声をかけられたアンドリューは、玄関で未だに立ち上っている土煙を吸い込んだせいだろう、軽い咳を繰り返して呼吸を落ち着けながらも、そう返した。
 緊迫した空気の中、土煙がおさまると、そこには一人の青年が立っていた。まだ成人してもいないだろう。スズランとアンドリューの証言通り、彼は二十歳前のようだった。今の爆発さえなければ、どこにでもいるような普通の青年だと思うだろう。だが、茶色の髪に茶色の瞳を持つその青年の身体には、背負い鞄と、更に腰周りにも幾つもの巾着袋が下げられている。その中には考えたくもないだろうものが山と詰め込まれているだろうことは想像に難くなかった。
 騎士達に取り囲まれているという異常な状況にもかかわらず、彼は、目敏くスズランを見つけると、破顔一笑した。
「ああ、やっぱりここにいたんだ。迎えに来たよ、スズランさん」
 スズランは当然ながら、一言も答えない。ただ暗い瞳を向けるだけだった。
 だが、招かれざる客人はどうやらそれを都合のいいように捉えたらしい。
「どうして女の子はそんなに恥ずかしがりなのかな。なにも隠れなくてもいいのに。安心して出ておいでよ、スズランさん」
 ふう、と、小さく息を吐いてから、彼は満面に笑みを湛えた。
「僕と君の邪魔をしようとする奴らは、僕が皆殺しにしてあげるからさ」
 尋常ではないことをのたまってのけた彼に、ギルバートを含む騎士達全員が息を呑んだ。スズランも、その顔にはっきりと嫌悪の表情を浮かべている。ただ、スズランの近くにいた騎士達は、別の意味でも震え上がったらしい。なぜなら――
「こんのクッソ野郎……」
 スズランとホオズキが異口同音にそう零したからだ。
 運悪くもふたりの傍にいたアンドリューとタニアの顔が蒼白になったのは言うまでもない。
「スズラン、隠れてろ。あの野郎は俺達が仕留める」
「ええ、お願い」
「おう」
 早くも刀を抜いて戦闘態勢に入ったホオズキにそう促され、スズランも素直に従い、あらかじめ決めておいた身の隠し場所へ向かうべく、踵を返した。
「昨日の今日とはねェ。どうします、ギルバートさん? 聞くまでもないでしょうが」
「全くだな」
 ギルバートの隣に来ていたギンが、ホオズキと同様に刀を抜いて戦闘態勢に入りながら、そう尋ねてきた。ギルバートも、口に銜えていた煙草を吐き出し、足で踏み潰して火を消しながら、情状酌量の余地はなしと、冷酷な判断を下した。
「野郎どもに告げる! 全力を挙げて、あの爆弾魔を討ち取れい!!」
 ギルバートの大声が詰所に響いた。

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