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漆黒の君(3)
2011.08.16
 次にオリヴィアが目を覚ましたのは、そろそろ日も暮れようかという黄昏時だった。
 正確には目を覚ましたというより、誰かに遠慮がちに揺すられるような感触で意識がふっと浮かび、そうしてこれ以上は浮き上がらないというところまで浮き上がったと同時に、目が覚めたのだった。
「あ、起きましたか。あの、夕食の支度ができたので、よかったらどうぞ」
 控えめな様子でこちらの顔を覗き込みながらそう言ったのは見知らぬ女の人で、その顔を見たオリヴィアは混乱しかけたが、その女の人越しに視界に入って来る部屋の光景に、意識を手放す前の記憶が甦り、そうしてやっと自分は店らしい建物に連れて来られたのだと思い出した。
 女の人――アンヌと呼ばれていた彼女のその言葉に、のんびりしている時間はないのだと、弾かれたように上半身を起こしながら言おうとしたが、上半身を起こすや否や、あまりの痛み――筋肉痛が身体を襲った。
 当然といえば当然の話だった。オリヴィアはあまり長旅に慣れていない。荒れ地を縦断するような旅となれば尚更だった。どちらかというと身体を動かすことは好きな方なので、馬乗りなどは喜んでこなしたため、体力はそれなりにあると自負しているが、それでも急激な環境の変化や長時間馬の上で揺られながらの移動を要する旅を平気でこなすほどではなかった。身体が悲鳴を上げた証拠に、こうして全身に筋肉痛がもたらされている。
 呻き声を漏らして痛みをやり過ごすオリヴィアの背中をアンヌが気遣わしげにさすった。
「……本当に、のんびりしている時間はないのです。わたしが、いつまでも、ここにいたら、あなた達が……」
 身体中を苛む筋肉痛に顔を顰めながらも、何とかそう声を絞り出したオリヴィアのその続きは聞かずとも察せられたようだった。どこか納得したように小さく頷いたかと思うと、アンヌはこちらを安心させるかのようににっこりと笑った。
「大丈夫ですよ」
 アンヌが浮かべたそれは、オリヴィアが久しく見ていなかった、力強い笑みだった。
「我らは、王に守られていますから」
 
                         
 アンヌに半ば無理矢理に一階にある店内のカウンターへと連れられると、その一席に腰掛けさせられ、既に用意ができていたらしい料理が目の前に並ばれた。肉や香料が入ったスープ、すりつぶしたジャガイモと混ぜた、柔らかく炒めた野菜炒めなど、胃に優しいものばかりだった。香りも食欲をそそられるもので、それを嗅いだオリヴィアは自分が空腹になっていることに気付いた。無理もない。今日は朝からずっと一日中、馬の上で揺られっぱなしだったし、何より腹を満たす間も惜しかったのだ。
 並ばれた料理を平らげたいという欲求と、今すぐにでも発たなければという理性のはざまで逡巡するオリヴィアのその胸中を読みとったかのように、いつの間に近くに来ていたのか、眼鏡をかけた男がにこやかな笑顔で告げた。
「実は先程、ここにいる皆で、起きたあなたがアンヌの手料理をちゃんと食べるかどうか、賭けをしたんですよ。わたしはあなたが食べる方に賭けました。ですから、あなたが食べようとしないのであれば、わたしを含め、あなたが食べる方に賭けた皆が、何としてでもあなたに食べさせようと躍起になると思います。それでもよろしければ」
「……い、いただきます」
 それでもよろしければ、の続きが恐ろしそうだったので、それ以上を聞かずに済むようにと、オリヴィアは筋肉痛で痛む腕をどうにか動かして、ナイフとフォークを手に取ってから、おそるおそる料理を一口口に含んだ。
 おいしい。
 こんなにおいしいものを食べたのはいつ振りだろう。
 そう思うと、目の前に並ばれた料理を平らげるのはあっという間だった。ここが王宮ではないこともあるだろう。行儀や立ち居振る舞いに注意を払う必要などなかったし、何よりここにいる者達からは悪意や敵意の類は微塵も感じられなかった。彼らが料理に毒を仕込むなど、手の込んだことはしないだろうと思ったのだ。
 気がついたら皿は全て空になっており、空腹感もなくなっていた。
 よく食べましたねえ、と眼鏡をかけた男が感心し、アンヌがどうぞ、と笑いながら紅茶を淹れて出した。そんな彼らの後ろ――店内では、「よし食べたぞ」「俺様の勝ちだな」「くそう、ただ働きさせられる」などと、賭けの結果で一喜一憂する者達がやんやと騒いでいる。何とも騒がしいところだと、紅茶をゆっくり啜りながらオリヴィアは改めて思った。
「さて、まだ名乗っていませんでしたね。わたしはアンドレといいます」
 一息ついたところで、オリヴィアの隣の席に座り、オリヴィアと同様に食後の紅茶を堪能していた眼鏡の男がそう口を開いた。彼につられるようにしてオリヴィアも名乗ろうとしたが、それを眼鏡の男――アンドレが制した。
「あなたのことは知っていますよ。カタンシェ国の第一王女、オリヴィア・カタンシェですね」
 驚くオリヴィアに、アンドレは苦笑した。
「こんなところにも情報は色々と入って来るんですよ。特に隣国であるカタンシェ国の情勢はね。ですから、あなたのことはわたしだけでなく、ここにいる皆も知っています」
 それを聞いてオリヴィアは納得した。同時に自分を助けてくれた男――ヴィーのことも思い出した。おそらく彼も、アンドレのように情報を仕入れていたから、オリヴィアのことを知っていたのだろう。
 そこでオリヴィアは店内に彼の姿がないことに気付いた。どうしたのだろうと訝りながら、再度店内を見回してみるが、やはり彼の姿はない。彼女のその様子を見て、彼女が誰を探しているのか察したらしいアンドレはああ、と小さく声を漏らした。
「ヴィーなら出かけています。いつまた無法者達がおかしな気を起こすか分かったものではありませんからね。心配しなくても、今夜中には戻ると思いますよ」
「そう、なんですか」
「ええ。ところで、単刀直入にお尋ねしますが、どうして早く発とうとしているのですか?」
 いきなり聞かれて、心の準備も待ち構えることも出来なかったオリヴィアは不意打ちのそれに息を呑んだ。
 いや、アンドレの不意打ちに面食らったのはオリヴィアだけではない。気がつけば、あんなにやんやと騒がしかった店内は静まり返り、全員が息を殺しているようだった。心なしか、彼らが一人残らずこちらのやりとりを一言も聞き漏らすまいというように聞き耳を立てている気配すら感じる。
 唇を強く噛み締めて俯いたオリヴィアに、アンドレがどこか気遣わしげな口調で続けた。
「カタンシェでは今、王宮で原因不明の病に頭を抱えているそうですね。王だけでなく、王子でありあなたの兄君である三人も揃って床に伏せているとか。国中の医師が総出を上げて原因を探っているようですが、未だに治療方法も分からないとのことです。王は、唯一病に罹っていないあなたにまで累が及ぶことを恐れて、あなたを、離れた国に住む王の弟君の元へと預けることにしたと聞いています。しかし、あなたはどういうわけか、安全であるはずのそこから出て、恐ろしい病が跋扈する王宮へと戻ろうとしている。王や王子はそんなこと、望んでいないでしょう。あなたも分かっているはずです。なのに、なぜ危険なこの旅路を選んで戻ろうとしているのです?」
 アンドレの言うことは尤もだった。
 オリヴィアは躊躇った。
「……悪く思わないで頂きたいのですけれど、あなたたちは、その……」
 オリヴィアの聞きたいことをアンドレは正確に汲み取ってくれたようだった。
 アンドレは先程のアンヌのように、こちらを安心させるように笑いを含んだ声で言った。
「安心していいですよ。ここだけの話ですが、ここはほら、見ての通り荒れた地ですから、女の人というのはそれだけでとても貴重な存在なんです」
 何の脈絡もなさそうなことを言ったアンドレに、オリヴィアは俯いていた顔を上げて不思議そうに見遣った。そんな彼女に、アンドレはにこやかな笑顔で言葉を継ぐ。
「ですから、それだけに、ここにいる皆は、わたしを含めて全員、女の人には頭が上がらないんですよ。何しろ彼女達がいなければ、わたし達はとうの昔に退屈過ぎて死んでいたでしょうからね」
 退屈で死ぬとは大げさではないかとオリヴィアは思ったが、すぐに思い直した。先程も彼らはオリヴィアが食事をするかどうかで賭けをしたではないか。そんな彼らにとって退屈ほど厄介なものはないのかもしれない。彼らならあり得るかもしれないとオリヴィアは思った。
「そういうわけで、わたし達はあなたに対しても敬意を払うことにしたんですよ。敬意というよりは、害を加えずに大事にもてなす、と言った方が正確ですか。さもなければ、わたし達は全員、こちらの彼女に雷をくらう羽目になります」
「当り前じゃないか。女は偉大なんだよ」
「心得てます、姐さん」
 アンドレの言葉を受けてアンヌが胸を張って言い、それに店内にいる者達が元気良く返した。彼らのそのやりとりで、ここにいる者達は女の人を大事にする意識が強いらしいと知る。
 オリヴィアはそれでも躊躇っていたが、それはほんの僅かの間のことで、他言無用にお願いします、と前置きしてから、ひどく重いものを吐き出すかのように口を開いて息を吐き出した。
「事の始まりは、少し、時間を遡ります」
 オリヴィアは話し始めた。
「最初は一通の手紙でした。内容は、わたしへの求婚でした。わたしも年頃ですから、そろそろ結婚してもいい頃です。王や王子は、結婚は信頼できる相手と、とのお考えで、わたしもそう考えるようになりました。ですが、手紙の差出人は、正直に言いますと、とても王や王子のお眼鏡に適うような方ではなかったため、お断りの手紙をお返ししました。その時はそれで終わったと思っていたのです。しかし、相手の方は諦めず、それからも何通もの求婚の手紙を送ってきました。時には花束、時には指輪を添えて。その度に丁重にお断りの手紙と共に送り返してきたのですが――」
 ぶるり、とオリヴィアは身を震わせた。
「送られてくるものはますます悪化してきました。ある日、花束も指輪などの宝石も添えていない手紙が送られてきましたが、その中には手紙ではなく、小さな刃が入っていました。それからは、明らかに護身用ではない短剣、毒の入った瓶、動物の死骸、愛の言葉を刻んだ斧――。とにかく、恐ろしいものばかりが送られてくるようになったのです。それだけではありません。手紙も時々送られてきたのですが、内容は決まってわたしのことでした。いつどこで何をしていたのかを、まるで見てきたかのように綴られ、今日も綺麗だ、と締められていたのです。その中には王宮の者しか知ることのできないようなものも含まれていました」
 ひどい、とアンヌが口元に手を遣って呟き、アンドレも不快そうに眉を寄せた。
「恐ろしくなったわたしは部屋から一歩も出ることができなくなりました。いつどこで見られるか分からないからです。それでも手紙は執拗に送られ、やはりわたしがその日に何をして過ごしていたかが見てきたかのように綴られていました。流石に見過ごせなくなった父や兄、警邏が腰を上げて、相手を捕まえようと動き出しましたが、それを見計らったかのように、彼らは病に倒れました」
 いつの間にか店内は静まり返っていた。その静寂が、オリヴィアの語る内容がいかに壮絶なものかを教えていた。
「王宮に医師団がやってきて、病にかかった父や兄を診て回りましたが、原因は分からないとのことでした。正確には、それまで見たことのない症状だったようです。何の病気か分からないことには治療方法も分からないため、打つ手はほぼないと聞きました」
 オリヴィアの服の裾を握り締める手に力が込められた。
「わたしはどうすることも出来ませんでした。ただ、病気で苦しむ父や兄を見て、できることなら自分が代わりたいと、悲しむことしか。そんなわたしに、父が、お前も病気に罹るといけないからと、離れた国に住む叔父の元に行くように勧めたので、何か病気の手がかりになるものがあればと、藁にも縋る思いで、伯父の元に行きましたが――」
 そこで言葉を切ったオリヴィアはたまらずと言ったように両手で顔を覆った。
「わたしを歓迎して下さった伯父も、その奥様も、その子供達も、わたしが彼らの元に行った数日後に、父や兄を襲った病に倒れてしまったのです。呆然とするわたしの元に、例の手紙が送られてきました。その手紙には、愛する者達を助けたければ自分と結婚しろ、という内容が書かれていました」
 唸り声が店内のそこここで響いた。
「父や兄、伯父とその家族は助けたい。でも、あんな恐ろしいことをする方と結婚するのも嫌です。それならいっそのこと、修道院に入って修道女にでもなろうと思い、カタンシェに戻ることにしたのです」
「じゃあ、この危険な旅路を選んだのは」
 アンドレのその問いかけに、オリヴィアは俯いたまま頷いた。
「ええ。危険だとは分かっていましたが、荒れ果てたこの地なら、病を広げることも出来まいと思ったのです。まさか、このようなところがあるとは思いませんでしたが」
 このようなところ、と言ったところでオリヴィアは小さく笑ったが、すぐにその笑みも消えた。必死な表情をその顔に浮かべてオリヴィアは縋るようにしてアンドレの胸元に両手を伸ばした。
「お願いです。早く発たせてくれませんか。わたしはこれ以上、犠牲を出したくありません。わたしのせいで犠牲になる人を、これ以上一人も見たくない」
「落ち着いて下さい」
 不安と恐怖に駆られそうになったオリヴィアの方に手を置いて、どうにか宥めすかしてから、アンドレはゆっくりと、小さな子供に言い聞かせるような穏やかな口調で言い聞かせた。
「それなら尚更、あなたは無事でカタンシェに戻らなければなりません。あなたはカタンシェにとって大事な存在です。あなたにもし万が一のことがあったら、カタンシェがどんなことになるか、分からないあなたではないでしょう」
「……ですが」
「大丈夫ですよ。少なくとも、ここではあなたの心配するようなことは起こりません。その点では安心していいですよ」
 どういうことだと聞こうとしたが、オリヴィアのその意図を察したように、秘密です、というように唇に指を押し当ててみせたアンドレを見て、聞いたとしても満足な答えが返ってこないと知ったオリヴィアはその疑問を引っ込めた。
 力なく椅子に座り直したオリヴィアに、アンドレが提案した。
「あなたは無事にカタンシェまで戻らなければなりません。そのためには腕利きの護衛が必要です。その護衛に、ヴィーをつけましょう」
 オリヴィアは瞬いてアンドレを再度見上げた。
「彼一人だけ、ということですか?」
「ええ」
「あの、有り難いのですが、しかし、彼一人では、手に余るのではないですか?」
「大丈夫ですよ」
 アンドレは先程も言った言葉をもう一度繰り返してから、アンヌがオリヴィアに見せたものと同じ笑みをその口元に刻んだ。
「彼は、特別ですから」

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