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漆黒の君(4)
2011.08.17
 翌朝。
 店の出入り口には旅支度を済ませたオリヴィアとヴィー、そして出発する彼らを見送るために店にいる全員が取り囲むようにして揃っていた。
 準備も整えないといけないからと、出発は翌朝になったのだ。オリヴィアとしてはたった一晩すらも惜しかったが、肝心の護衛であるヴィーが帰って来るのは早くても夜遅くになると思いますよ、というアンドレの言葉に、じりじりと焦燥を覚えながらも頷いた。頷く以外になかった。護衛がいなければ、折角拾った命を無駄にしてしまうことが明白だったからだ。
 それに、一晩だが久し振りに屋根のあるところで休んだことはオリヴィアにとって思わぬ収穫をもたらした。見張りも警戒も、誰かに見られているのではないかと怯えることもしなくて済むというのは、精神的にとても楽になった――つまりは安心することができたのだ。安心という感情を、オリヴィアは久し振りに覚えたのだった。最後に安心して眠れたのはいつだったか分からないほど、安心できない状況に長らく置かれていたのだと、オリヴィアは噛み締めた。御蔭で昨夜はぐっすりと熟睡できたため、今までの旅の疲れがすっきりと取れた。昨日、「顔色がひどい」と心配していたアンヌに「今日は顔色がだいぶ良くなってますね」と言われたくらいだ。
 アンヌが用意してくれた朝食を有り難く頂いた後、オリヴィアはアンドレとヴィー、それから店にいる者達と一緒に外へ出た。途端にオリヴィアは目を疑った。なぜなら店の外には、昨日まで一緒に旅を共にしていた、だが襲撃で逸れてどこかへ走って行ったはずの馬がいたのだ。昨日とは違い、落ち着いた様子で、地面から生えている草をのんびりと食んでいる。逃げられないようにだろう、緩くではあるが、近くにある瓦礫の出っ張りに手綱が繋がれている。
 思わずその馬に近付いたオリヴィアは、興奮させないよう、慎重な手つきでその首を柔らかく撫ぜる。
「どうして……」
 てっきりどこかへ走って行って、それきりだとばかり思っていたのに――というオリヴィアのその呟きに、ヴィーがこちらも独り言のように返した。
「昨夜、あちこち歩いていたら、その馬が偶然俺の前を通りかかったんだ。不思議なことはあるもんだな」
 会って間もないオリヴィアでも棒読みと分かるその口調に、明らかに嘘だと知れたが、とにかく無事に帰って来てくれたのだから、文句などあるはずがない。
 オリヴィアは馬からヴィーへと向き直り、小さく頭を下げた。
「有り難うございます」
「……ああ」
 礼を言われたことが意外だったのか、ヴィーは瞬きを繰り返した。
 そんな二人に何を思ったのか、見送りに来た者達は全員何やらにやにやと思わせぶりな笑みを浮かべている。そんな彼らにヴィーが呆れたように冷ややかな視線を投げかけたが、慣れているようで、彼らはびくともしないどころかますます笑みを深めた。ヴィーが諦めたように溜め息を落とす。
 苦笑したアンドレが数歩進み出て二人の元へと近付いた。
「二人とも、これを。必要なものを入れておきましたので」
「痛み入ります」
 何から何まで至れり尽くせりな姿勢にオリヴィアは自然と頭を下げながら、アンドレの差し出した荷物を受け取った。
「それから、こちらの荷物ですが、病を治すのに役に立ちますから、失くさないようにして下さいね」
 オリヴィアは思わずアンドレを見上げた。
「父上や兄上の――?」
「ええ。一応、ここにも医師がいましてね。でも皆、至って健康なものですから、暇潰しに色々研究しているんです。まあ、藪医者ですが、腕利きですので、効果はあると思いますよ」
 オリヴィアはアンドレから受け取った荷物――緑色の布に包まれたそれを大事そうに胸に抱えた。
「本当に……有り難うございます。何から何まで、よくして下さって」
「いいえ。こちらこそ、あなたと会えて良かったですよ」
 オリヴィアはひたすら頭を下げて感謝を示した。
 アンドレのその言葉が、単純な意味の他にもう一つ、彼らにとって重要な意味を持っていたことを知るのはもう少し後のことだった。
 荷物を馬の身体に括りつけて、更にその上にオリヴィアが乗り、オリヴィアとヴィーは皆に見送られながら、嘗て国だったその場所を発った。
 それからの二日間は何事もなく過ぎた。文字通り、本当に何もなかったのだ。襲撃も急激な天候の変化も、オリヴィアに求婚を迫る何者かの悪意によって病を広げられることも。何もなかった御蔭で、二人は無事にカタンシェを囲む城塞まで着くことができた。
 最初、オリヴィアは自分だけが馬の上に乗っていることが申し訳なく、自分も歩くと言ったのだが、それに馬の手綱を牽きながら歩いていたヴィーは気にしなくていいと返した。
「俺は毎日、嫌って言うほどあちこち歩き回っているからな。慣れているから平気だ。でもそっちは慣れていないだろう。筋肉痛で歩けなくなるのが目に見えている。それよりは馬の上で揺られてくれた方が、俺としても手間が省けて助かる」
 尤もだったのでオリヴィアは申し訳なくも有り難くその言葉に甘えることにし、二日間ずっと馬の上の人となった。
 また、夜に眠る時は、昼間にヴィーが歩きながら集めた枯れ木や本の残骸など、燃えそうなものを集めたものを燃やして焚き火をし、その傍に馬を繋ぎ、荷物の中に入っていた上着に包まって寒さを凌いだ。この時もヴィーを頼りにした。万が一の時はヴィーが真っ先に気付くだろうから、その時はすぐに起こしてくれると彼が言ってくれたのだった。
 何から何まで彼に頼りっぱなしで申し訳なく思ったオリヴィアだが、ヴィーにとってはそんなオリヴィアの方が意外に映ったらしい。なぜかというと、王族は部下や忠臣が忠誠を尽くしてもそれが当然と思って感謝すらしない者がいるからだそうだ。ただし、あくまでも一握りで、全員がそうだと思っているわけじゃないとも、ヴィーは付け足した。
 カタンシェに着くまでの二日間は、オリヴィアが心配していたようなことは一つも起こらなかった。そのことに安堵すると同時に、本当に何も起こらなかったな、と、昨夜、アンドレが言っていたことを思い出した。
 アンドレはヴィーが特別だと言った後にこうも言ったのだ。
「彼はこの縄張りの主ですからね。その縄張りを荒らそうなんて輩は――いや、少し違うな。彼に喧嘩を売ろうなんて輩は、この地にはいません。いるとすれば、彼を知らない者か、余程の命知らずのどちらかでしょうね。ですから、カタンシェまでは無事に辿り着けますよ」
 そんなことがあるのだろうかと、聞いた時は半信半疑だったが、無事にカタンシェを囲む壁に辿り着いた今となっては最早疑いようがなかった。どういうわけか知らないが、ヴィーがこの荒れ果てた地を縄張りとしていることで、あの店を住処とする者達以外の無法者は彼を恐れて手出しできないようだった。
 それはひとえにヴィーが強いからだろうかと、最初に彼に会った時のことを思い出しながら推測したが、それだけではない理由が他にある気もする。
 どうしてだと聞いてもよかったかもしれないが、会ったばかりの相手にそこまで踏み込んでいいものかという躊躇いもあり、結局聞かないまま、長い階段を上ってカタンシェの土を踏んだ。
 カタンシェには商人など、他の国からやって来る者も少なくないので、馬に乗るオリヴィアとヴィーの二人はさほど目立つことはなかった。顔を見られることのないようにと、アンドレから渡された布を頭に被り、首にも回して、余ったそれで顔も覆っていたので、オリヴィアの素性が露見する心配もなかった。
 だが、オリヴィアとヴィーの二人旅は(馬もいるので二人旅とは少し違うかもしれないが)、別の意味で視線を集めたらしく、ある店に寄って買い物をしていたら、店主とヴィーの間でこんなやり取りがあった。
「あんたら、旅の者かい?」
「ああ」
「そうなんだ。夫婦なのかい? ここには新婚旅行で?」
「まあ、そんなところだ」
 夫婦と聞いて馬の上にいたオリヴィアはちょっとどきりとした。確かに冷静に考えてみれば、年もそう離れていないし、そう見られてもおかしくない。オリヴィアの身に今現在進行形で起きていることのせいで、結婚やその類の言葉に対しては必要以上に敏感になっているせいもあるが、この時は不思議と嫌悪感は湧いてこなかった。オリヴィアに対して執拗に結婚を迫る不気味な手紙の送り主には嫌悪しか覚えないというのに。
「ようし、そんならいっちょおまけもつけてやろう。ほれ、もう一個追加だ」
「どうも」
 素っ気ないヴィーに構わずに、大らかな性格らしい店主は、店を後にするオリヴィアとヴィーにぶんぶんと手を大きく振って見送ってくれた。余程新婚夫婦を見たことが嬉しかったらしい。
 そうして数時間後、王宮まであと少しといったところで、何やら尋常ならざる空気が漂っていることに気付いた。オリヴィアがまだこちらにいた頃は、病に伏せた王や王子を心配する声がそこここで上がっていたものの、それでもまだ少しは活気があったように思う。それが今や、活気どころか、今にも爆発しそうなほど、これ以上にないくらいに張り詰められた、緊迫した空気が王宮に近付くにつれて強くなっているのだ。道を歩く者も少なく、そこらの家中が窓を閉めて息を潜めているようだった。
 何か悪いことが起こっているらしいと、嫌でも察したオリヴィアは、再度焦燥に駆られて、今すぐにでも王宮に賭けつけようと手綱を握り締めたが、ヴィーがそれを制した。オリヴィアが勝手に馬を走らせないよう、改めて手綱を握り込んでから、ヴィーは何件目かで漸く開いている店を見つけて、そこの店主に尋ねた。
「王宮で何か起きているのか?」
 店頭で椅子に腰掛けながら、億劫そうに煙管をふかしていた、髭を生やした白髪の年配の男性は、ヴィーのその問いかけに、怪訝そうな表情を浮かべて顔を上げた。ヴィーと彼が牽いている馬、その上に乗っているオリヴィアを捉えると、納得したようにああ、と小さく声を漏らした。
「あんたら、旅の者かい。そんなら、知らなくても無理はねえな」
 呟くようにそう言うと、店主は銜えていた煙管を手にとって、それで王宮の方へと指した。
「三日前に、いきなり王宮に賊が入ったのさ。王や王子はほら、病で倒れられてしまっているだろう? だから、王宮のみんな、そっちに気を取られていたもんで、突然の襲撃になす術もなかったみたいでな。あっさり賊に乗っ取られてしまったのさ」
 喉元まで出かかった悲鳴を辛うじて堪えたオリヴィアを一瞥してから、ヴィーは「それで?」と続きを促した。店主は不快そうに眉を寄せた。
「賊は王や王子を人質にとったのさ。それから、こんな伝言を飛脚を使って国中に広めた。オリヴィア姫を嫁に迎えたし。さもなければ、王や王子の命はない」
 そんな、とオリヴィアは息だけで喘ぐように呟いた。その隣でヴィーも不快そうに顔を顰めた。
「随分とイカレた奴もいたもんだ」
「全くだよ」
 そこでふと、店主はヴィーに視線を遣った。
「お前さん達、まさかとは思うが、王宮に用があるのかい? だとしたらやめておいた方がいいよ。王宮は今や、賊に好き放題にされているからな。一歩でも王宮に入ろうものなら、奴らの餌食にされちまうよ」
 ヴィーはふんと鼻を鳴らした。
「生憎と、俺達は王宮に用があるんだ。折角忠告してくれたのに悪いな」
「お前さん達――」
 まだ何か言おうとする店主に背中を向けて、ヴィーはオリヴィアの乗る馬を引いて歩き出した。この二日間ですっかり彼に懐いたらしい馬は素直に彼に牽かれるままに歩き出し、その上に乗るオリヴィアもそれを止めなかった。寧ろ好都合だとすら思った。
「オリヴィア」
「はい」
「殴り込むぞ」
「はい」
 オリヴィアは強い意志をその瞳に宿して大きく頷いた。

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