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漆黒の君(7)
2011.08.23
 嘗て、カタンシェの隣には、ハインベルツという小さな国があった。
 彼の国の王族は全員、生まれつき、青い目を持ち、その目は〈真実の目〉と呼ばれた。その目は相手の素性、過去、性格――その者が持つあらゆる総ての情報を見透す。そのため、いかなる詐欺師でも騙し切ることはできないし、騙し通すことも出来ない。ハインベルツの王族は〈真実の目〉を使って潔癖な政治を行ったという。また、その目を頼りに、未解決の事件や、冤罪が疑われるような事件や、犯人だということは間違いないのに証拠がないという事件などが世界中から持ち込まれ、ハインベルツではそれらの事件も全て〈真実の目〉を使って見事に解決された。ゆえにハインベルツは「裁判の国」とも呼ばれた。
 しかし、〈真実の目〉は代が重ねられるごとにその能力も次第に弱まり、ハインベルツ家の始祖のように、月の銀と見紛うほどに透けるように明るい水色は少しずつ濃くなり、最後の代に至っては、夜空を思わせる藍色になっていたという。色が濃くなるごとに能力も弱まり、相手の持つ情報のほんの一握りしか見透せなくなっていたとも囁かれている。その子供に至っては、〈真実の目〉であることを示す青い目を持って生まれることはなく、両目とも似漆黒の色だったそうだ。
 それを見計らったかのように、彼の国は二十年前に滅んだ。
 オリヴィアが生まれる前のことだったから、オリヴィアはハインベルツに関する記憶は殆ど持たないが、生前に母親が一度だけ感慨深げに話していたことがあった。その時に母が零していた言葉を、オリヴィアは長く時間が経った今でもよく憶えている。
『清艶なるかな、青き宝珠。わしも一度だけ見たが、実に美しいものであったよ』
 母がそう言うならそうなんだろうと、オリヴィアは幼いなりに、一度でいいから見てみたかったと惜しんだ。母親に憧れて、母親と同じことを真似したくなる時期だったから、余計にそう思ったかもしれない。
 それからもう一つ、母はハインベルツについてのことを教えてくれた。
 ハインベルツには一人の王子がおり、その王子はハインベルツの王族の中では異例な子供だったという。どうしてなのかと、純粋に疑問に思って尋ねたオリヴィアに、母は何とも言えない声で答えたのだった。彼の王子は、両目どちらも黒い目で、青い目を持っていないから、と。
『生きていたら、今頃は立派な青年になっていたであろうに』
 普段は滅多に感情を崩さない母が、その時ばかりは笑みを湛えながらも悲しそうに言っていたのが印象的だった。だからだろう、オリヴィアはその王子の名前を記憶に強く刻んでいた。オリヴィアととてもよく似た名前だったせいもあるだろう。
 そう、彼の王子は、もし生きていたら、今目の前にいる男と同い年になっているはずだ。
 まさかと思いながらも、ほぼ確信に変わりつつある思いと共に、オリヴィアは震える声でその名を呼んだ。
「オリヴィエ王子……?」
 オリヴィアの目の前に立つヴィーは振り返らずに小さく肩を竦めた。
「今はもう国も王子なんて身分もないから、ただのオリヴィエだがな」
 ああやはり、彼がオリヴィエ・ハインベルツなのだと、オリヴィアは感嘆のような感情を込めた溜め息を落とすと同時に確信する。
 それはガワフも同じだったらしく、しかしこちらはオリヴィアより激しい反応を示しながら、なおも悲鳴のように大声を響かせた。
「そんな、お前にその目が、〈真実の目〉があるはずが……!」
 そんなガワフに、ヴィーはひどく冴え冴えとした目を――〈真実の目〉である、明るい水色の目を向けた。見据えられて、ガワフはびくりと大きく肩を上下させた。先程まではあったはずの余裕はどこへやら、すっかり消え失せてしまっている。
「俺も、俺にこいつが備わっているとは知らなんだ。だが、お前のせいでこいつが目覚めた」
 かつん、と、小さく音を立てて、ヴィーは一歩、ガワフの方へと足を踏み出した。
「お前が起こした事件のせいで受けた衝撃は、こいつを目覚めさせる起爆剤としての役目も果たしたらしくてな。御蔭であれからの数年間は、こいつを飼い馴らすのにいっぱいで、他のことに目をくれる余裕なんぞなかった」
 オリヴィアが疑問の声を上げた。
「飼い馴らす……とは、どういうことです?」
 かつん、と、また一歩、ガワフの方へと近付いたヴィーは、ガワフから視線をそらさないまま、淡々とした口調で返した。
「俺は元々、両目とも黒い目で、青い目じゃなかった。だから、ハインベルツ家では異例だとよく言われていた」
「ええ。母から、聞いたことがあります」
「そのせいで、ハインベルツ家の者なら誰でも受ける訓練――まあ、平たく言えば、こいつを思うように制御する方法を教えられるんだが、俺はそれを一度も受けたことがなかった。必要ないと判断されたし、俺もそうだろうと納得していた。二十年前のあの日まではな」
 二十年前、とヴィーが口にした時、同時に部屋の中にいた賊の者達の多くが身震いするのがオリヴィアの視界の隅に映った。それは彼らの罪が思わぬところで暴かれることを恐れてのものなのか、それともヴィーの怒りに触れる恐怖からか。
「そもそもの始まりは、ある男から姉に求婚の手紙が送られてきたことだ。姉は当然断った。顔も見せないような相手と寄り添う気はないと。手紙の中には写真もあったかもしれないが、あったとしても姉は断っていただろう。姉は豪胆な人で、潔癖な性格でもあったから、少しでも怪しいと思う人とは結婚したくないと、口癖のように言っていた」
 かつん、とヴィーがまた足音を立てた。
「だが、手紙は執拗に送られてきた。そのうちに悪化して来て、刃の入った手紙、毒入りの瓶、愛の言葉が刻まれた斧などが送られてくるようになった。中には一日中の姉の行動が綴られた手紙もあったよ。姉は豪胆な人だったが、それらの病的な手紙のせいで、少しずつ病んでいった」
「……それ、それは……」
 喘ぐように声を絞り出したオリヴィアに、ヴィーは今度も振り返らずに頷いた。
「そうだ。お前へのことと同じことを、こいつは二十年前にもしていた」
「そんな……」
 思いもよらない過去を知ったオリヴィアは小さく呻いた。その後がどうなったかも察せられたせいもある。
 それからヴィーは二十年前に何があったのかを語った。
 オリヴィエの姉に執拗に結婚を迫っていたガワフはしかし、オリヴィアと同様に中々良い返事を出さないオリヴィエの姉に業を煮やして、賊を率いて王宮を襲った。そこで改めて、しかし脅迫紛いに求婚したガワフに、執拗な手紙のせいで弱っていただろうオリヴィエの姉は、それでも屈さずに否と返した。その返事に頭に血が上ったガワフは彼女を手にかけ、それを皮切りに手当たり次第に斬り、彼に倣って賊も王宮で暴れ回り、ハインベルツ家の者達を血祭りにあげ、国中に火をつけた――。
 ヴィーが語ったことは、ほぼオリヴィアの推測通りだった。
「姉を除く俺の家族は皆、病に倒れていたから、逃げることも出来なかった。ハインベルツは元々小さな国だったから、お前達がつけた火はあっという間に広がって、国を焼き尽くした。たった一晩で、ハインベルツは滅んだよ」
 淡々とした口調だったが、それだけに凄みがあり、その場にいる全員を圧倒していた。
 かつん、と、ヴィーの足が、オリヴィアの父と三人の兄がいる寝台の前で止まった。
「俺が奇跡的に生き延びられたのは、俺の教育係についていたアンドレと、俺に剣の稽古をつけていたダンが必死に俺を連れて逃げてくれた御蔭だよ。その時の俺はまだ小さかったから、病に罹っていても抱えて逃げられたんだろうな。秘密の逃げ道を二人が知っていたこともあるだろうが」
 オリヴィアは無法地帯にあった店にいたアンドレを思い出した。では彼は、ヴィーの命の恩人なのか。道理でヴィーが彼に頭が下がらないように見えたはずだ。
「さっきも言った通り、俺には〈真実の目〉がないと思われていたが、皮肉なことに、お前が起こしたあの事件のせいで、こいつが目覚めた。どうやら、それまでは能力が強過ぎるゆえに、本能が眠らせていたらしい」
「……強過ぎる、だと? 馬鹿な。その力は弱まっていて、もう殆ど使いものにならなくなっていたはずだ」
 ヴィーの言葉に反論すべきものを嗅ぎつけたガワフがここぞとばかりに噛みついたが、それにもヴィーは静かに返した。
「俺もそう思っていたさ。だが、アンドレによると、俺の場合は強い先祖返りらしい。――俺の始祖は両目ともとても明るい水色で、それだけに能力も強かったそうだ。それこそ、相手の素性、過去、性格――その者が持つ総ての情報を見透せるくらいにな。目を見開いていると、しょっちゅう目に入る誰かの情報が見えてしまうから、普段は両目共に目隠しをして過ごしていたと聞く」
 ガワフの口元に刻まれた、嘲りの笑みがひくりと引き攣った。
「俺も同じだよ。俺は片目だけ先祖返りしたが、そのせいで、二十年前からはこっちの目に映る誰かの情報をひっきりなしに見る羽目になったから、制御できるようになるまでは数年かかった。でないと、たくさんの情報が頭に雪崩れ込んで来て、それらと現実の境目が分からなくなるからな。一時はそれで本当に混乱して、部屋に一日中閉じ込められたこともあったよ。そのせいで目隠しをしないとならなくなったわけだが、制御できるようになってからも目隠しは必要になった」
 ヴィーが顔の左半分を隠すように巻いていたバンダナにはそんな意味があったのだ。
「流石に今はもう慣れたから、閉じ込められるようなことはないがな。その代わり、見たい情報を探ることもできるようになった。例えば、俺の家族やオリヴィアの家族を襲った病の原因や、その治療方法とかな」
 ガワフの顔があからさまにぎくりと強張った。
 そんな彼から目を離さずに、ヴィーは少しの間黙り込んで彼を見つめていたが、ほどなくして見たい情報が見えたらしく、「ふん……」とヴィーの口から小さく声が零れた。
「やっぱり、病の原因は毒草か。俺の時は、解毒成分を含む薬草を飲んだら、幾らかましになったんで、解毒成分を含む薬草を手当たり次第に試すうちに、当たりを引いた。グラジオラという薬草がそれだ。すり潰したものを飲んだら数日で回復したが、それで合っていたらしいな。うちの医師が沢山作ったんで、置き場所に困ってたんだが、もう困らなくてよさそうだ」
 オリヴィアはヴィーやアンドレ達が住処としているあの店を出発する時に、アンドレに持たされていた包みを思い出した。ではあの包みの中には、グラジオラが入っているのか。そういえば、アンドレも、仕事のない医師が暇潰しにと色々研究していると言っていたではないか。あれはもしかして、ハインベルツの二の舞がないようにと、予防対策を立てていた――グラジオラを育てて薬作りをしていたという意味ではないか。
 今思えば符合するところが幾つもあり、オリヴィアはそのことがなんだかとても奇妙なことに思えた。
「それに――成る程。オリヴィア」
 突然呼ばれて、オリヴィアは不意をつかれたために「はい」と返すのが少し遅れたが、そんな彼女に構わずに――というより、気づいた様子もなく、ヴィーは問うた。
「お前の身の周りの世話をする侍女の中に、イヴリンという名前の者がいないか」
「……おります、けれど」
 訝るオリヴィアに、それとは分からないほどの僅かな間を置いた後、ヴィーは告げた。
「そいつがお前の一日の行動をガワフに流していた。共犯だな」
「え」
 オリヴィアは桜色の目を大きく見開いた。冗談抜きで、ヴィーが何を言っているのか分からなかったのだ。それほどに、ヴィーの告げたことはオリヴィアにとって信じ難いことだった。だが、やがてヴィーの言葉を咀嚼すると、辻褄が合うことも分かって来て、信じざるを得なくなった。そもそもヴィーは今〈真実の目〉でガワフを見透しているのだ。その彼が嘘の情報を告げるはずがない。
 オリヴィアの身の周りの世話をする侍女なら、オリヴィアの一日の行動を知っても不思議ではない。オリヴィアに一日中張り付いているわけではないが、一日三食の食事、着替え、部屋の掃除など、オリヴィアの行動を知る機会は一日に何度でもある。それらをそっくりそのままガワフに何らかの方法で知らせていたのだとすれば、ガワフがこちらを見ていたかのような手紙を送ることができていたことも腑に落ちる。
 当時はどこから漏れているのか全く分からず、部屋に閉じこもるほどに怯えるしかなかったが、分かってみれば実に簡単なことだった。こんなに呆気ないことで、自分は怯えていたのかと思うと、滑稽さすら湧いてくる。
「言っておくが、その侍女に同情の余地はないぞ。そいつも元々賊で、盗みを繰り返していた。ガワフとは利害の一致で手を組んだようだな。ハインベルツでも手を組んで、その時にも戦利品がよかったから、味を占めて、今回も喜んで加担したといったところか」
 呆れを声に滲ませて言ったヴィーはなおもガワフから目を離さないままだ。
 自分を見つめ続け、更には罪とその内容を次々と暴かれたからだろう、ガワフは今やがたがたと身体を震わせていた。周りにいる賊の者達よりも大きな震えだった。
「見るな……」
 ふいに呻くように言うと、ガワフはケヴィンの左肩に突き刺していた長剣を抜いた。それからトチ狂ったかのように青褪めた顔を恐怖に歪ませながら、血塗れの長剣をヴィーに向けて放り投げた。
「見るなぁっ!」
 そう叫んだガワフの声は最早悲鳴に近かった。
 ガワフの投げた長剣がヴィーに当たることはなかった。
 ヴィーはガワフが長剣を投げるより先に、床を強く蹴って跳躍し、一瞬でガワフとの距離を詰めた。寝台を飛び越えてガワフの目の前にまで迫ったヴィーはその勢いのままに拳を突き出し、ガワフの顔面を容赦なく殴った。
 殴られたガワフはその場に踏み止まることも出来ず、殴られた勢いを殺すことも出来ず、そのまま後ろの方へと文字通り〝飛び〟、やがてすぐ後ろにある壁にぶつかってようやく止まった。壁伝いにずるずるとその場に倒れ込んだガワフは、何とも不様な体勢のまま、死んだようにぴくりとも動かなくなった。どうやらあまりの衝撃と痛みのせいで意識を手放したらしい。
「命まではとらん。オリヴィアの頼みもあるが、何より、お前のような下衆の命で、オリヴィアを汚したくはないからな」
 吐き捨てるようにそう言ったヴィーは寝台を回って、先程床に放り投げた黒刀を拾い、それから周りを――部屋の中にいる賊の者達を見回した。
「どうする? 今この場で武器も何もかも捨てて大人しく捕まるか、それとも、抵抗してでも小さな可能性に賭けて逃げるか。もっとも」
 そこで言葉を切ったヴィーは目を冷たく煌めかせた。
「一人たりとも逃がす気は更々ないがな」
 ヴィーのその言葉に、彼がここにいる賊の者達全員、逃げられても地獄の果てまで追って捕まえるつもりなのだと悟ったらしい。オリヴィアでさえそうなのだから、彼らは尚更だろう。
 一人、また一人と武器を捨ててその場に両手を上げた姿勢のまま座り込んで投降の意思を見せ始め、やがて賊の者達全員が座り込んだことを確認すると、ヴィーは寝台を囲むようにして控えていた従者達をちらりと見やった。
「捕まえなくていいのか」
 言われて、従者達は我に返ったように、ケヴィンの止血に、他の部屋にいるだろう他の従者達に事の知らせに、賊の者達の拘束にと、あたふたと動き始めた。
 その様子を見て漸く収斂の兆しを感じ取ったオリヴィアは、ふっと身体中から力が抜けるのを感じた。
「オリヴィア?」
 血を拭いた刀を鞘に収め、バンダナを顔に巻き直したヴィーが驚いたようにオリヴィアの名を呼んだような気がしたが、よく分からなかった。
 オリヴィアの意識はそこで途切れた。

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